ジャン・シメオン・シャルダンは18世紀フランス、美術史的にはブーシェ、フラゴナールなどと並びロココと呼ばれる時代様式にくくられる画家です。室内装飾に代表されるような華麗繊細な曲線美や、愛だ恋だといった開放的で軽快な官能性が尊ばれた時代にあって、シャルダンは慎ましい庶民の生活を題材としながらも、当時の権威である王立アカデミーをはじめ宮廷社会にも広く受け入れられた画家でもありました。また、彼の静物画に見られるような極めて簡潔な画風は、セザンヌやマチスら後続の画家にも影響を与え、絵画の近代性とともに語られることも少なくありません。とはいえ、シャルダンの芸術を語るにあたっては、多くの作家同様、その個別性・例外性をこそ尊重すべきでしょう。個々の作家・作品を歴史という体系に位置づけたり、社会的な関係性を読み込んだところで、決して芸術的魅力の核心を捕えることはできないのです。そういったタテヨコの網目を軽妙にかいくぐり、直にその魅力を捕まえることを第一に心がけたいと思います。結果、うまく絵画の一般問題へと着地できたなら、はにかむ程度に喜べばよいのです。

 連載コラムの第1回となる今回は2枚の絵を取り上げて考えてみたいと思います。また、せっかくARICAのHPで執筆の機会を頂いたので、「演劇性」というキーワードでシャルダンの絵画を探ってみようとも思っています。
 

「シャボン玉」-絵画の永続性ー

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 シャボン玉を吹く少年を描いた、ロココ的なテーマでもある「儚さや虚栄」をモチーフに選んだとも言えそうな絵ですが、まず、この絵を一通り見た特徴をまとめてみると以下のようになります。

 肩と腕で台形をつくり、窓枠の上に体を安定させながらシャボン玉を吹く少年は、彼の左手の指と鼻、垂れ下がる頭髪や脇の下から覗くシャツ、それらの奇妙な同型を反復させながら、体をまるで「物」のように絵を見る私たちに晒している。彼の口からストローを伝わり、注意深くシャボン玉に吹き込まれた息は、つかの間の落ち着きを得ているようだ。窓枠の向こう、室内と思われる場所からシャボン玉をのぞき込む少年がもう一人ぼんやりと描かれている。低く差し込む僅かに赤みを帯びた外光から、夕暮れだろうか、この場面を境にどちらかと言えばこれより前の、まだ日が高かっただろう時間を想像させる。

 ざっとこのように観察してみましたが、私がこの絵で最も特徴的だと思うのは「2対の平行線」です。

 一つ目は2本のストローの平行です。向かって左側、グラスにささったストローと、右側の、少年がくわえ今まさにシャボン玉が吹き出しているストローが形作る平行線です。しかし、よく見てみるとこの2本のストローは不思議な状態にある事がわかります。左側のストローには断面を示しす黄色い絵具が上部先端に塗られています。これは上部先端が手前、下部先端が奧という具合にストローが傾斜していることを意味します。一方、右側のストローでは上部先端(少年の口元)が奧、下部先端(シャボン玉)が手前に見えます。つまり、2本のストローは私たち観者からは平行に見えますが、実際には(絵画の中に想定されている空間では)「ねじれの位置」にあるのです。
 すべての男女関係の比喩でもある「ねじれの位置」ですが、ここでは参考までにWikipediaからその定義を引用したいと思います。

 ねじれの位置(ねじれのいち)とは、空間内の2本の直線が平行でなく、かつ、交わっていないとき、つまり同一平面に乗れないときの、2直線の位置関係のことである。

空間内での2つの直線の位置関係は以下の3つのどれかである。


平行 交差 ねじれの位置


このうち、平行する2直線や交差する2直線は同一平面上に存在する。一方、ねじれの位置関係にある2直線は同一平面上に存在しない。

 逆に同一平面上にある2直線は、交差するか、そうでなければ平行の関係にある。 だから、例えば立方体を平面で切断した場合、その断面図の各辺は互いに平行であるか交差し、ねじれの位置となる辺の組み合わせは存在しない。

「ねじれの位置」は例えば立体交差に見られる。

例えば、三角形BCDを底面とする三角錐A-BCDの、辺ABと辺CDの2辺はねじれの位置にある。

この用語は、『存在次元の異なる存在』『どうあっても交わることのない存在』を表す比喩として用いられることがある。(Wikipediaより)

 
 「同一平面上に乗れない」筈の2直線が絵画平面上に乗っているように見えるこのようなシャルダンの構成は、「だまし絵」的手法と言ってしまえばそれまでですが、こんな地味なトリックを仕掛けたところで誰も驚かないのは明らかでしょう。では、シャルダンは何故このような構成を用いたのでしょうか。
 私はこう考えます。「キャンバスという物理的な要因も含んだ絵画平面の永続性を強調すると共に、そこに開かれた視界を限定する」ためだと。
 前半部分の「永続性」とは、当然のことでもありますが、見る対象が平面上に再現・定着されていることに対する驚き(極端にいえば)に支えられています。視界の限定については、例えばこの絵の視点を少しでも左右にずらしてしまうとストローの平行が崩れてしまうことからもお分かりいただけるでしょう。視界の限定とはいっても、さほど強制力のあるものではなく、2人の少年の眼差しと同じく、観者が今にも弾けそうなシャボン玉を見るにあたっての注意力を換気するような類のものだと思います。結果的に「任意の視点・任意の時間が何故かいつでもそこにある」ということを強く印象づけています。

 二つ目の平行は画面左側の上部下部からそれぞれ伸びた植物の枝が形作る平行です。ここでもシャルダンの奇妙な描き方が目を惹きます。上部の植物は全体として青々と繁っているのに対し、下部の植物は枝が露になり、葉も黄色味を帯びて枯れかかっているように見えます。ちょうど上部の植物が時間の経過とともに枯れゆく様といった具合に。つまり時間の経過を隔てた2つの状態が同時に描かれていることになります。言うなればストローの描き方で見たような「物理的要因を含んだ絵画平面の永続性」が、画面の内部にイメージとして「既に」描き込まれているということになります。また、この植物は画面の外側から画面の内部へと伸びていることに注目してみれば、それらはシャボン玉を吹く少年たちとは別の、どちらかと言えば私たち観者の側に近いような空間(額縁のような?)に存在しているようにさえ見えます。このことも永続性への示唆を与えてくれます。

 と、ここまで見てきて、素朴な外観を纏ったシャルダンの絵画が、以外にもトリッキーな構成で裏打ちされていることに驚かれるかもしれません。しかしそれは決して「批評としての絵画」であったり、見ること・描くことをないがしろにした知の優位ということでもありません。絵具で描かれたシャボン玉は長い間(今も)割れることなく私たちの視線に応えつづけてくれます。その絵をのぞき込むと、2人の少年同様シャボン玉の行く末に思わず目を凝らしてしまうのは私だけではないでしょう。ただそれだけのことを彼なりの工夫で表現しただけだと言えばお気楽にすぎるでしょうか。
 絵画を描くという行為の危うさは、その絵を「絵として見ることができる」という前提からしか問うことはできないし、シャルダンの絵画では、あくまでそれが絵画の面白さとして浮かび上がってくるように思います。

 この絵で、もう1つだけ抑えておきたいポイントは、ぼんやり描かれたもう1人の少年についてですが、これはシャルダンの他の作品とも関わることなので次回以降にあらためて説明しようと思います。 


「カードのお城」-演劇性-

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 トランプのお城を作ることに夢中になっている少年を描いた作品。この絵を語るにあたって「演劇性」と偉そうに謳ってみましたが、なにもこの言葉は私が考え出したものではありません。USAの批評家マイケル・フリードという人が彼の著書「Absorption and Theatricality(没入と演劇性)」の中でこの言葉を用いてシャルダンのこの絵を取り上げています。フリードはこの本で、観者の視線とその介入を前提として描かれた絵画を「演劇的」とし、シャルダンのこの絵のように、少年がトランプのお城を作ることに「没入」し、観者の視線を意識していないような(従って絵画内の空間が観者と隔絶されているかのような)絵画を「反演劇的」な絵画と書いています。そう、シャルダンの作品は「演劇的」ではなく、「反演劇的」だというのです。そもそも、この用語はフリードのモダニズム批評、とりわけ作品の自己言及性に依拠する概念だと思いますし、シャルダンを評価する際の妥当性には甚だ疑問がありますが、興味深い部分を多く含みますので、今回はシャルダンをこそ「演劇性/反演劇性」という言葉で掘り下げてみたいと思います。

さて。
まず、この絵の(私の)ぱっと見の印象は、

 おや、少年がトランプを使って何やらやっているぞ。組み立てているトランプはこの先どうなるんだろう。手前の引き出しとその中のトランプがやたらと目立つなあ。

 という感じですが、もちろんそこにはシャルダン特有の静けさが通底しています。しかし、実を言うと第一印象の「引き出しの中のトランプ」についてはもっと具体的な印象を持っています。それを書く前に、今一度フリードにご登場願いたいと思います。というのも、先に紹介した「反演劇性」をフリードはこの「引き出しの中のトランプ」に見出したからです。引き出しの中の2枚のトランプは、一方が表(ハートのキング)、他方が裏面(絵柄が見えない)をこちらに向けており、観者と絵画内部の空間を切断しているという訳です。
 なるほど。とも思いますが、この「引き出しの中のトランプ」に関して、より具体的な私の印象を申し上げますと、まず何よりも「明るい」です。そしてその明るさが全体の印象も決定しています。先ほどもったいぶった割に、身も蓋もない観察ですが、このトランプに与えられた最大の明度は、シャルダンが意図して仕掛けたものだと思います。このハイライトは「シャボン玉」のストローと同じように視点を限定する働きを持っています。シャルダンの絵は大抵、画面の外、左手前から光が差し込んでいます。外光とは違い、室内など近い距離にある光源は、対象物の僅かな位置・角度の変化で光源自身の存在を露にしてしまいます。それは事実、少年が左手に持っている3枚のトランプ、既に並べられたトランプの僅かな傾きにも適切な明暗を与えることによって際立っています。そんな光がちょうど裏面を向いた「引き出しの中のトランプ」に跳ね返り、目潰しのような効果をもたらしているのです。トランプが僅かに傾いても、視点がブレても、このようには見えないでしょう。少年がトランプのお城を崩さぬよう細心の注意を払っているのと同じく、私たちもその様子を息をのんで見守なねばならなくなるのです。さらに言えば、引き出しの左端の奥行部分の遠近法は狂っており、その奥行線は少年の手元、顔(表情)へと視線を誘っています。おまけに引き出しの取っ手は正面を向いてしまっています。この異様な引き出しは「シャボン玉」の植物同様、少年の空間よりは、私たちの空間に近い感じがします。またそれは、先にも申し上げたとおり、「任意の視点・任意の時間が何故かいつでもそこにある」ことの強調で、フリードの言うように抵抗感を伴っています。

 以上の事を踏まえた上で再度「演劇性」について考えたいと思いますが、ここではまずフリードの言う「演劇性」が孕んでいる両義性を指摘したいと思います。
 「引き出しの中のトランプ」をはじめ、まるで小さな舞台のようなテーブル上に配置されたトランプ、それらを照らし出す照明装置からは、「反演劇性」どころか、むしろ「演劇性」を強く感じざるをえません。そしてこの場合、「Theatricality」とは「演劇性」ではなく「劇場性」と訳されるべきだと思います。また、フリードが「反演劇性」の根拠とした、観者の視線を意識せず「没入している」少年については次のように問えるはずです。そもそも「没入している」と認められるのは、なぜか。答えはもちろん、没入している「主体」が見て取れるからです。

 つまり、観者の視線を周到に誘導することで、視線の介入を意識しないほど没入している少年に感情移入ができる。あるいは感情移入できるからこそ、その絵が視えることに抵抗を感じる。

 実はフリードの「演劇性」という言葉に接して、私がまず直感したのは、このような「劇場性」と「反劇場性」という区分が共振するような絵画のことだったのです。そしてその両義性は論理というより何よりもまず見ることを通して獲得されるような生の形式だと思います。「おや、少年が何やらやっているぞ。」という私の第一印象は、没入しているように見える/見えない、あるいは演技している/いないという、観者(私)と少年のそれぞれの「主体」が感情移入の作用によって明滅するような感触でした。演じるということは、そもそもそういうことかもしれませんが、それは必ずしも演者自身の能動性でのみ語れることではないでしょう。
 歴史上、男の嘘の「その嘘さ」を実証的手段を用いずに、証明した女は一人としていません。しかし証明できないからといって真実でないとは限らないのです。「女の勘」でしかわからないことだって当然あるものです。シャルダンのこの絵は、そのことを教えてくれます。

 「見ること」と「描くこと」の間に慎重に腰を据えながら、僅かな光のゆらめきに身を委ねる。この絵からは、遅筆な画家であったというシャルダンの眼差しを確かに感じることができます。

 最後にもう1つだけ。先に述べた、明滅する「私」と「他者」という対立項が多少なりとも孕む軋轢、時に「他者」を絵画平面に開かれた視点によって包摂してしまうような事態は、必然的に「他我」というリアリティを内包しているように思います。とはいえ、絵画を語るにあたって「他我」とはとても背負いきれない問題ですので、さしあたって次回は「他者」というキーワードでシャルダンの絵を見ていきたいと思います。

つづく

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 昨今はこけしブームらしい。どこの家でも箪笥の上に一本は埃まみれになって置かれている、良く知られているが古くさい置物の代表と長く思われてきたこけしである。それが今、数々の雑誌や書籍によって「POP」な様相で喧伝され、オシャレなアパレル・ショップやミュージアム・ショップでも紹介されている。最近まで、ダサイと思われるのではないかと、声高に語ることをはばかりつつ蒐集をしてきた、おじさんたちのささやかな趣味であった。それがかつて無かったことに、若い女性を中心にこけしの「カワイ」らしさを語る言葉が溢れている。

 

 今までも昭和10年代に第1期こけしブームが興って以来、昭和50年代をピークに何度かこけしが脚光を浴びた時がある。

 

  材木を轆轤(ろくろ)で挽いて丸棒にし、簡単に目鼻と胴の模様を描いただけの人形なので、すぐに作ることができ安価で量が多い。そして、東北六県の特定の 場所で木地職人が作って来たもので、その地域ごとに特徴があり分別することがたやすい。更に個々の職人の手癖が見え、それも作られた時期によって微妙に変 化するので、いつ頃のものなのかを推定することも出来る。形状は人形としては世界に類例がないほど極めて単純で、それが逆に各々の差異を判別し易くもなっている。

 基本的な形状が同じでしかし僅かな違いがあることは、蒐集欲をそそられるであろう。しかも丸い棒なので束ねて飾ることも仕舞うことも出来て置き場所をあまり取らないことから、数千本のこけしを持つ人も珍しくはない。

 そしてそれはやはり人形であり、元来女の子と言われるその表情は、「カワイ」らしいのである。

 

 しかし、本当にそれは「カワイイ」のだろうか。カワイイと言ってしまうことで、こけしは簡単に了解しうるものだのだろうか。そもそも人が絶えず言葉にする「カワイイ」とはどういうことなのであろうか。

 

 例えば、写真のこけしは、岩手県一ノ関、宮本一家(伝・宮本惣七)の大正期のこけしである。(高さ 10センチ)

 


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 経済成長を基盤にして、流通/消費のシステムが確立した昭和10年代以降から今まで作られ続けて来た膨大なこけしの可愛らしさとは別の、なにか得体の知れない不気味なものが、これら数少ない明治・大正時代のこけしの表情に感じられないだろうか。

 

 そしてこけしは本当に「カワイイ」のだろうか。

(続く)

 役に立たない、古いものが好きだ。
  古道具屋やら骨董市やら、時間があれば出かけ、貧しい財布の中身と折り合いをつけ、いつも手にするのは、なんの役にもたたないものだらけだ。壊れたブリキのおもちゃ、破れたぬいぐるみ、不細工な顔の古びたこけし、ただ真ん丸いことが取り柄の大きな石ころ。同じ古物でもコップや皿のように器ならば使い道があるが、ふらふらと店を回って結局最後は、そんな見捨てられたゴミのようなものばかり持ち帰ることになる。 
 なぜだろう。 

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 2003年秋、銀座のギャラリー無境で初めてクートラスのカルトを見たとき、まずは古めかしいタロットカードだと思った。「古くて役に立たないもの」への親しさを感じたからだが、すぐにそうでないことに気付いた。古いトランプやタロットカードは木版で刷られているが、クートラスのカルトは、厚みをもった絵の具で表面を重ねられている。そのマチエールに心を惹かれた。仔細に見ると、ただ油彩で描いているだけではなく、厚く重なった絵の具を削ったり、ヤスリをかけたりして表面にさまざまな細工を施している。「時には古い虫食いの小さな穴の様なものを自分で穿ったりもしたし、ストーブの上で熱した昔の鉄アイロンをかけるようなときもあった。そしてさらに絵を描いては、破壊する操作を繰り返して、床の上に出来た作品を何日もほったらかして、気に入ったものだけを完成させて釉薬をかけた。それを重ねて、ケースにしまい込み、暫く立って取り出した時に、熟成した上等のワインの様なブーケ、香りを放つ作品だけが、彼にとって完成だったから、他のものは又削って描き直していた。」※ 

 つまり、それらのカルトには、作者が意図的に古さ=時間を、刻もうとしていた。しかし、そこには古色をつけようとした作為のいやらしさを感じなかったのが不思議だった。古色をつけることは、安手の土産物から巧妙な贋物まで、さまざまな目的でなされているが、それは、昔に作られたものが時を経て今こうなっているという、時間の経過をねつ造することである。別段古物好きでなくとも、真新しいものは気恥ずかしく、例えば衣服の着古した味わいを良しとする感覚はめずらしいことではない。そしてクートラスのカルトにはその「あえて古くした」マチエールにこそ、殊更に細心の力を尽くした痕が刻印されている。

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 「クートラスは子供時代から、昔の匂いがする物が何でも好きだった。だから古道具屋で昔の道具類とか、壊れた家具の見事な彫刻を施した木片とか、バターの木型とか、花嫁に贈るために、花婿が浮き彫りで飾った木箱とか、今なら民芸博物館にすまして収められているオブジェを、安く買って来たり、拾ったりしては、自分のうちの屋根裏部屋の物置に並べて、手入れをしたり、眺めたりしていた。オピネルのナイフで木切れに、自分で彫刻した作品も沢山あった。この屋根裏の物置がクートラスの最初の美術館、宝物殿だった。」

  しかし十代の頃、屋根裏に集められた自分のコレクションや自分が作ったものすべてを、アーティストになりたいと言うクートラスを許さなかった義父に捨てられてしまう。その時クートラスは自殺を図ったという。それらは命と等価のものであったのだ。
  大人になってからのクートラスのアトリエにも、彼が見つけてきた古いものがあり、そして見つけたいものは自分で作った。そこにはいつも外とは違う時間が流れていた。その古さへの志向は、単なる郷愁というよりも、命と引き換えになるほどの切実な思いがあった。それらは直接に人間の歴史の生命的なものに繋がっているのだと、クートラスは感じとっていたのではないだろうか。

  私は、幼いころから、今生きているこの世の現実と折り合いが悪いように感じてきている。なぜ俺はここに居るのかと、自分は確かに存在しているのかと、不安に思う。気を抜くとこの世界から滑り落ちてしまうようだ。地震が恐ろしい。高い所では目が回る。東京スカイツリーなんてのぼりたくない。そんなとき、古くて美しいものを見たり触れたりすると、不思議に心が落ち着くのである。
  それは、そのモノが自分にとって美しいと感じると共に、自分とは無関係に、遥か、いにしえからの人間の手の内で出来て、残されたものだから。さらには作られた時代のモノとしての用途が時間を経て希薄になって、そこでは〈私〉などはどうでもよく、しかしその自分も含めて永々とつながっている人々の営みの、確からしさを感じるのだ。そして、とりわけ「役に立たないもの」は、いにしえの破片のようなものであるゆえに、確からしさが純化されているように思う。
  だから、自分にとって古いものは、この世から流されていかないための、摑まり棒なのか。人類誕生の悠遠の昔から、生命が滅びるであろう永劫の未来への流れのなかにある〈今ここ〉で、その激しい濁流に呑み込まれないように私はそれらのモノにすがっているのかもしれない。

  クートラスのカルトの傷の刻印は、「懐かしい雰囲気をつくる」というような媚びた手技ではない。もっと切迫した、人の命を刻みつけるような、実存的な希求のように思う。
  カルトは、手札としての大きさ、手に収まる寸法が本質だ。それらは本来飾られて鑑賞するものではなく、手の中に触れて物質的に感じるものである。人生の畏れを掌に納める。さらにクートラスは複数のカルトで組物を構成しようとした。その組み合わせを変え、並びを考えることによって、図像には時間が生じる。そこで絵は動き始める。掌のカルトは、それを手に持つ人自身にあらたな時間をもたらして行く。 
 アトリエで毎夜カルトを描く。日々の仕事のリズム、カルトが織りなすハーモニー。(「ほとんど」をトル)秀でた宗教者の営為のように、自分自身に正直で、自分自身を裏切らない。それは、今の時代にどんな困難なことだろう。
  クートラスのカルトの、頑なまでの「役に立たなさ」が私は好きだ。

 ※クートラスの晩年を支え、作品の継承者であるMarikoさんの手記
 『Coutelas Journal』(エクリ刊)より転載

今なお、押し寄せる津波のイメージが心をざわつかせ、余震の微かな揺れに震え上がり、原発の終わりのなさに心身は沈み込む。何を語り何をすることができようかと、口ごもるばかりの日々は、いつまで続くのか。その東北のことを思いつつ、今、私の前に、こけしがある。


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未曾有の、という形容がメディアにあふれ、否応なくあらたな歴史に刻まれた東北。その東北の六県、宮城、岩手、青森、山形、秋田、福島、にのみ発生した人形である。

 

写真のこけしは、福島、会津の木地師、小椋千代五郎(慶応2年生、昭和20年没)が昭和9年前後につくったとされているこけし。

(高さ 13センチ)


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こけしは、江戸後期から東北で湯治場を中心に子どもの土産物として売られた安価な人形であるが、安価である故に大切にされることなく汚れれば破棄されるまま、江戸期とはっきり確認できるこけしは無いと言われている。明治大正のものも非常に少ない。

 

昭和10年代になって、多くの都会の好事家たちが興味を持ち蒐集を始めるようになってからは多くのこけしが残っているし、戦後の高度成長期にあって、国鉄が電通と展開した「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンに象徴されるように日本再発見の機運の中、こけしもブームになって誰でもが知るようになった。


轆轤(ろくろ)で引かれた球状の頭部と棒状の胴で出来た世界に類をみない単純極まりない人形であるが、しかし単純であるからこそ、多くの人々には見向きもされなかった昭和初期以前のこけしと、大量消費の波を受けた戦後のこけしとの違いは大きい。柳宗悦の言う「用の美」を引くまでもなく、よくも悪くもその時代下でつくられた手仕事の先には、その時代の職人の手・身体がモノへ直接に投影されているように思う。

 

こけしが特殊なのは、基本には手で握って遊ぶことが前提とされていたことで、それは多くの人形が飾り物であったり、あるいはぬいぐるみのように抱いて遊ぶ人形であったりしたのとは異なっている。だから、生まれた時代の触覚的感覚がはっきりと刻印される。このことは努力次第で再現可能な技術の問題ではない。

 

手で握る。それは身体に密着する行為であり、古いこけしの多くはあたかも自分の手と一体化したかのように、掌にぴったりと納まり心地よい。いにしえの職人が轆轤を引いて削りだしたこけしの形態に、その時代の人の身体感覚が伝承され、こけしを握ることで昔の人々とつながって行くかのように感じる。

 

身体性を持ったこけし。奇妙な言い方であるが、鑑賞するためのかわいらしい人形としてのこけしではなく、数少ない古いこけしには、少なからず呪術的な匂いもする独特の存在感がある。形態が単純なだけに、人形=形代(かたしろ)として、本質だけになった「存在の芯」のようなあり方だ。

 

かつて舞台を演出するときに、古いこけしを持ち出し「この明治のこけしのように立って欲しい」と指示をして、怪訝に思われたことがある。


舞台上の人物が、装飾をいっさい削ぎ落として舞台に立ち、「人間存在の芯」のようになって空間にいる。そんな舞台に心が惹かれる。

 横断歩道の手前に、くたびれたスーツ姿の初老の男が立っていた。抜けるような青空だったが、両足はスーパーの白いビニール袋で丁寧に覆われていた。信号がかわり人々が行交うようになっても、男は動かなかった。ただひとつ、微笑みながら右手を軽く前に突き出して、何かを握る仕種を絶え間なく繰り返していた。私は彼が旧国鉄の職員で、それは改札で切符を切る動作なのだと、勝手に想像した。切ないまでに身に刻まれた「労働」行為が、むきだしになっていた、と思った。私は衝撃を受けた。
「労働」には作業目的があり行為を規定するものは「効率」である。目的から導かれて動作が決められていく。しかし目的への経路を知らない部外者にとって、その行為は異様に見えることもあるだろう。
 ARICAはひとりの女性の「労働」をモチーフに連作を重ねてきた。例えば、ミシンを踏む、アイロンをかける、または値札を貼り、レジを打つなどの労働である。行為の具体性は重要であるが、本物の「労働」であるように見えることを意図していない。むしろ日常的な動作との差異を意識しながら、半ば虚構の過剰な「労働」行為を構成する。そして反復的な「労働」行為が繰り返されるうちに、いつしか目的性から身体が逸脱して、突発的に「むきだし」になることがある。その時、何らかの「衝撃」が舞台に刻印されることもあろうが、そのこと自体が対象にされているのではない。ただ突発の事態を積極的に引き受けて、舞台を生々しい〈事実性〉に結ぶこと。それには、パフォーマーの「身体」と「感情」そして「テキスト」と「空間」といった舞台の構成要素は、互いに緊張関係にあって安易に同化しないよう「距離」が置かれていることが要点であると考えた。
 そのひとつとして身体運動と意識に負荷を加える、さまざまモノの使用を試みている。例えば、行為に直接影響を与えるような、突飛で「機械」的なものを選択する。それは奇妙な仕掛けを伴った「ミシン」であり、長さ5メートルを超える「アイロン台」であり、キャスター付きのレジスターを携えた「電動車椅子」である。
 また、モノは作品の構造に関与するようにも図られている。ある程度「労働」目的にかなった素材を使用するのだが、素材の選択は多くが恣意的である。例えば、用いるものが「ピーマン」なのか「豆腐」なのか、それらは何か偶然の成りゆきで決められたりもする。しかし一旦選ばれたモノは、素材の性質によって、扱うパフォーマ−の身体動作を大きく制限する。「ピーマン」を扱うことと「豆腐」を扱うことは、全く行為の質が異なるだろう。素材の選択は単なる意匠ではなく、身体動作を規定する。つまり、テキストがあり、演出プランを立て、パフォーマーが実現するということから外れて、周縁的で些細なモノが、全体構成を決定することにもなる。モノそれ自体が舞台作品のディレクションを導くのである。
 その結果、さまざまなモノの使用に規定されたパフォーマーは膨大な作業を要求されるが、それを曲芸的に完遂することは望まれていない。逆に上演中のアクシデントを許容し、その際にはパフォーマ−の生き生きとした反射運動がその場を変容させることもあろう不均衡なバランスへ、行為の接点を投げ出す。何が起きるかわからない、非決定の余白にパフォーマーの身体動作が引く痕跡が、現実を舞台に繋ぎ止める。抽象化されない事象の表現という点でそれはリアルである。そこでの身体動作はあくまで即物的な運動行為によって、開かれる〈事実性〉へと向かっていく。

《或日、葛の葉が縁側に立つて庭を見てゐると、ちようど秋のことで、菊の花が咲いてゐる。其は、狐の非常に好きな乱菊といふ花である。見てゐるうちに、自然と狐の本性が現れて、顔が狐になつてしまつた。そばに寝てゐた童子が眼を覚まして、お母さんが狐になつたと怖がつて騒ぐので、葛の葉は障子に「恋しくば」の歌を書いて、去つてしまふ。子供が慕ふので、安名が後を慕うて行くと、葛の葉が姿を見せたといふ。》(折口信夫「信太妻の話」)

折口は、「信太妻の話」を自らが青年時代に聴いた猿曳きの「陰惨な声」の記憶から語り起こし、説教節や浄瑠璃のなかに様々な変奏をもつこの「狐子別れ」の伝説を、最終的には「妣の国」へのノスタルジーの形式へと繋げていった。折口は猿芝居を感傷とともに見聞きしたことを告白しており、彼の青年時代つまり明治20-30年代には「中世」の声質を身体的な実感として了解していたことが窺い知れる。

・・・というような一文を吉増剛造先生の折口信夫論『生涯は夢の中径』という本を中心に、文芸誌に寄稿したことがあった(2000年8月号のすばる)。他に柳田國男=小林秀雄=吉増剛造が共有する「山の人生」のヴィジョン、つまり「子殺し」が起こる場所の光についても、「小屋の口いっぱいに夕日がさしていた」ことについても触れていた。

家の境界、この内と外が相互に浸潤し合う(食い合う)場所は、通例の奥行きが増幅したり、圧縮したりする、遠近法が狂いを生じやすい/魔術的な効果が出る、両義的な場でもあって、結局は視覚化の誘惑が絶えず起こる。明治初年の写真師が縁側的な空間を利用したのは採光のためだったが、書き割りには洋風のバルコニーが描かれもしたのは面白い。

縁側と小屋の入口とバルコニーはみな家の境界だが、当然場所の性質の違いもある。この違いは、人の営みと想像力にもそれぞれの仕方で働きかけて、影響を及ぼしている。それを調べる必要がありそうだ。
 ARICAは、これまでの上演作品において、労働や居住など人の社会的な条件にまつわる身振りと場の関係を問い続けてきた。上演を繰り返すなかで、舞台上に現前する身体は、場への拘束と、場からの解放の二つのベクトルを持つことが分かってきた。
 今回の作品では、こうした場に対する身体の求心的な、あるいは離反的な運動を、「恋愛」の身振りになぞらえたいと考えている。さらに、この二つの運動の効果(effect)を具現化するために、「鏡」と「機械」という参照項を導入しておきたい。
 他者への切実な接近や働きかけは、結局のところ自己像の彫琢を意味するに過ぎなかったり、あるいはまた、いつしか機械を思うがままに操作するかのごとき振る舞いに似てくることもしばしばである。にもかかわらず、そうした働きには真率な感情が流れてもいる。こうした事態を「恋愛」をめぐる鏡と機械の二重のコンプレックス、とかりそめに捉えてみること。すると、それはいまに始まったことではなく、つねにすでに古来、神話と物語に描かれてきたものともいえる。しかし同時に、今日における恋愛の身体と語りはやはり、従来と異なる未知を抱え込んでもいる。
 本作品では、不毛なまでに単純化・断片化されつつなお、他者を捜し求める身体の蠢きと、剥き出しに露呈される欲望の声の連鎖の中から、恋愛の形式の不易と流行、原形と変化形を見極めつつ、狭隘な自己愛を超えて他者へと働きかけることの困難な方策を探り当てたい。

 書き割りのように室内と屋外がひと続きになったバルコニー。そのような設えられた中間的な場所を中心として、同じものが二組づつ存在する鏡像的な風景が広がっている。その反復強迫的な風景は、どこか不穏で倒錯した印象を与えている。
 やがてそこに一人の女が現れる。女はあらかじめ手足と口を失っており、それを動かし、外に出すためには、他人の手足と口を借りてこなければならない。アクションと発声のたびごとに、あたかもその都度接ぎ木をし、即席の移植手術をするかのようにして他人の身体と声を借り受けることで、ようやく自身の感情を切れ切れに語ることが可能となる。この空間では身体と声は取り替えのきく部品であることを強いられている。
 さらに、ちょうど空間が鏡像的であるのと同様に、女もまた、同じ動作を反復する。この場所にはただ一人しか存在していないため、同じ女がもう一人、ずれて出現しているかのよう。空間的にではなく時間的な反復なのだが、どこかナルシスティックな痕跡を強く感じさせてしまう。
 全編を通じて、女の身振りと声音は不毛な恋愛と性行為を機械的・断片的に模倣することになるが、ほとんど応答のあてのない孤独な営みに見える。だがそれは、死ぬまで決して終わることのない営みでもあることが暗示されていくのである。
注 本稿は、シアター・カンパニーARICAが2011年度中に公演を予定している新作『恋は闇/LOVE IS BLIND』の当初の草案を綴ったものであり、向後さまざまな改変がなされる。

第17回カイロ国際実験演劇祭(2005年9月20日~30日開催)に「Parachute Woman」をもって参加するため、エジプトに赴いた。ARICA初の海外公演である。

エジプト政府主催で毎年行われる中東最大の演劇祭で、この年は世界45カ国(欧米・アジア35カ国、中東10カ国)から招待を受けた62のカンパニー、地元エジプトの23のカンパニー、計85作品がラインアップされ、連日カイロ市内の劇場を中心に10日間に渡り上演された。


この公演旅行に参加したのは、演出、制作、ミュージシャン、パフォーマー、映像のARICAメンバー5人に、舞台監督、音響、照明のテクニカルスタッフ3人、それに旅費自己負担の同行組が加わり、大旅行団になった。


まずは航空券の確保から苦難の旅が始まった。

この演劇祭事務局はなかなか連絡が取れず、本当に行けるのかどうか、日程などやっと確定したのが3ヶ月前の6月である。

どの航空会社もすでに満席であせり狂う。8月に入ってやっと全員のチケットを入手できた。7月にエジプトでテロ事件が発生しキャンセルが相次いだおかげである。恐ろしく時間のかかる大韓航空(ソウル、ドバイ経由)とエミレーツ航空(ドバイ経由10時間待ち)であった。

先発隊がドバイ空港でトランジット待ちにうんざりしている時、たまたま目をやったモニターに、何と私たちの翌日に成田を出発したはずの後発隊が、今まさにドバイにチェックインしている姿が映し出されているではないか。予想だにしていなかった遭遇に驚き、何十年ぶりかに巡り会ったかのごとく、一瞬の逢瀬を喜び合った。

冷静に考えれば、これは予測可能なことだったのだろう。出発間際は準備に追いまくられ、だれもエアチケットをチェックする余裕がなかった、ということだ。


次なる難題は"ミシン"

Parachute Woman」という作品は、ARICAメンバー倉石信乃の書き下ろしだが、簡単に言ってしまえば、ひとりの女工がミシンでパラシュートを縫い上げる労働過程に焦点を当てたもの。当然舞台の主役はミシン。それも昭和の前半によく見かけた足踏み式。舞台装置の飾りとしてではなく、実際に踏む、というより踏みまくる。古くても高性能のものでないといけない。

カイロで2ヶ月にわたり探してもらったが、どうしても見つからなかった。ということは日本から持参しなくてはならないということだ。

これまでの国内公演では、演出藤田さんのお母さんのミシンを公演のたびに借りに行っていた。母上は人形作家で、現役使用のミシンだったが、そんな貴重品をまさか海外まで持ち出す訳にはゆかない。

幸運なことに近所の古道具ニコニコ堂で、すばらしいミシンを見つけた。戦前に作られた鈍く光る黒い鉄の塊りで、速く踏むと機関銃のような音がする。しかし本体はズシリと重く、総重量60キロ。

さてこれをどうやってカイロに運ぶか。船便では心もとないし、航空便の値段はとんでもないし、機内預けは重量オーバーの超過料金やトランジットの際のドロップアウト、破損などの心配がある。結局手に持っていれば一番安全でお金もかからないということで、ミシンを分解し、みんなで分担して機内持ち込みすることにした。

舞台監督鈴木康郎が慎重に解体。古い部品の一つ一つが貴重品で、日本でももはや調達不可能。しかし再度現地で組み立てるのでネジ一本の紛失も許されず、託された人の責任は重大である。みんなで押し付けあった。

その他にもエレクトリック・コントラバスやら音響機材やら回転椅子やら小道具やらと、荷物にまみれての成田出発となる。

果たしてセキュリティチェックを強化している成田の手荷物検査を突破できるかどうか。怪しい空気のARICA男子たちに砲弾のようなミシンの本体は任せられず、鉄の塊り20キロを大型リュックに押し込み、私が担いだ。大きな賭けをしているようで足が震えたが、結局X線を通るたびに「ミシンだミシンだ」と笑い飛ばされた。


現地入りして、不確定だったいろいろなことがやっと判明した。

公演日こそこちらの要望通りだったが、仕込みに関しては前々日から入りたいと言ってあったのに何と当日の朝入り。公演会場もあれだけ強く指定したのに別会場に。製作依頼しておいた舞台装置は当然手付かず。

とんでもない実験演劇祭だ。「難題をふっかけて、どこまでできるか、私たちを実験している演劇祭だ」などとうそぶいていたのだが、うれしいこともあった。コンペ対象作品に上げられていたことだ。

ここの演劇祭はコンペティション形式になっている。事務局が事前に参加85作品のビデオ審査をし、30作品を選んでコンペ対象とする。世界各国から招聘された11人の審査員が、現地カイロでこの30の実際の上演を観た上で選考し、最終日に受賞者を発表することになっている。


公演会場は大問題だ。

Parachute Woman」は劇場で上演したことがなかった。

六本木のライブハウス「スーパーデラックス」や桐生のノコギリ屋根の元織物工場など、客席と舞台がフラットな場所のために作った作品で、奥にミシンを置きその手前に5mのアイロン台をセット、その周囲を取り囲むように3方向から観てもらうという、かなり特殊な舞台・客席の設営である。客席から舞台を見上げるプロセニアムの劇場では、ほとんどのシーンが見えない。

カイロ公演に向けては、私たちは特に劇場選びに苦心していた。少ないカイロの劇場情報をかき集め、やっと一箇所だけ上演可能な会場を見つけた。演劇祭事務局にはずいぶん前からその会場での上演を強く要望していたのに、無視されたのだ。


ホテルチェックインもそこそこに、藤田さんと制作たらちゃんと私は、カイロの国際交流基金事務所に駆けつけた。

演劇祭事務局が指定してきたEl Hanager(私たち通称ハナゲ)劇場の図面を見せてもらったが、やはり「Parachute Woman」を上演できるスペースではない。私たちが予定していた会場は別の演目が組まれている。交流基金の担当宮本さんに相談するが、変更は不可能のようだ。途方に暮れる。

私はやっとの思いでカイロに辿り着いたのにと感極まり、「ハナゲはいやだ」と泣き出してしまった。

藤田さんとたらちゃんは、怒っている私には慣れているものの泣いた私は始めてで、戸惑っている様子。初対面の宮本さんも見てはいけないものを見てしまったとオロオロ。自分が情けないやら恥ずかしいやら、でも引っ込みがつかない。

しばらく気まずい空気が続いたが、藤田さんたらちゃんは何とかしなければと立ち上がった。演劇祭の事務局長に直談判しようと、宮本さんに連絡を取ってもらい、会いに行くことにする。(一口に「会いに行く」と言っても、着いたばかりの異国の地、容易なことではない。地名も判読できず、タクシーはアラブ語、料金もわからない。カイロでは最後まで、タクシーに乗る度に異常なエネルギーを要した。)


訪ね当てた事務局のドアの前には数人の列ができていた。私たち同様クレームを言いに来ているのだ。あるグループは交渉が成立せず、今回の公演をキャンセルにしていた。

重苦しい気配の部屋に入って行く。事務局長は「「Parachute Woman」のDVDを見た上で、上演するのに一番いい会場を選んだつもりだ、文句があるなら今すぐ劇場を見に行って、もう一度来い」と自信たっぷりに言い放った。

ホテルの玄関で到着したばかりの後発隊のテクニカルスタッフを捕まえ、一緒に劇場に直行する。


El Hanager劇場はすばらしい劇場だった。

ロビーに足を踏み入れただけですぐに分かった。劇場が息づいている。立派とは言えない、むしろ簡素で古い。しかし細やかな神経が行き届いている。後に知ったことだが、カイロ市でこの劇場は先鋭的な作品の上演会場になっていて、これまでにもピーターブルックをはじめ世界中の著名な劇団を引き受けていた。しかし、過去の数々の名舞台を大事にしながらもひけらかすことなく、自由な空気が漂っていた。

客席は300ほどであったろうか、とにかく舞台上が広い。

舞台奥の背景になっている大黒の後ろに回った瞬間、幻惑を覚えた。

過去に使われていた古い客席がこちらを向いてひっそりと眠っていたのだ。図面にはなかったことだ。私はいつしかこの舞台に魅了され始めていた。

演出家も気に入ったようだ。ただし通常の客席の使い方では、私たちの上演はほとんど見えない。藤田さんは「広い舞台の上に客席を組む」と即座に決断した。しかし観客が少数(100人ほど)に限定されてしまう。途中で反対意見にもあったが、彼は自分の作品提示法を最後まで死守した。予約システムがなかったからか、劇場側も寛容だった。

いい劇場というのは、そこにいるスタッフがいいということだ。優秀なステージマネジャー、照明、音響の人たち、とても気持ちのいいナイスガイ揃いだった。

「公演当日朝の劇場入りでは準備が間に合わない」旨をチーフに伝えると、前日の他劇団の本番終了直後から劇場を私たちに明け渡してくれることになり、徹夜仕込みも手伝うと言ってくれた。


私たちが強く主張していた劇場が近くにあったので、そこも下見した。できたばかりのきれいな劇場で、最新鋭の設備も整い、客席も自由に組め、図面通り確かに使い勝ってはよさそうだったが、私たちは全員一致でハナゲを選択した。


劇場を出ると深夜になっていた。成田を出発したのがずいぶん昔のことのように感じられる。深夜だというのに、お祭のように街は人で溢れかえっていた。猛暑の日中を避けて陽が沈むのを待ち、夕涼みの外出ということのようだ。

ホテルまで30分ほど歩いて帰ることにする。体は疲れ果てているのに足取りは軽い。途中ナイルに架かる橋の上で写真を撮る。みんなの顔が明るい。劇場も決まり仕込みのメドもつき、これで大丈夫という心地だったのだろう。頬を撫ぜる風が気持ちいい。


しかし、実はここまではまだ序の口であった。この後に待ち受けている数々の困難を、誰が予測できただろう。                  (続)