「市民的教養(シヴィリティ)」を裏切るために―「芸術的過酷さ」をめぐって

内野儀(「舞台芸術」05号(2004年)より抜粋)

 その点、ARICAが今年3月東京で初演し、その後9月末に群馬県の桐生でも上演した『パラシュート・ウーマン』(倉石信乃テクスト、藤田康城構成・演出)は、こうした問題系についてのわたしたちの思考を駆動するのにふさわしいものであった。
 この作品は安藤朋子のソロ・パフォーマンスだが、桐生での上演ではかつて織物工場として使われていたノコギリ屋根工場として知られる工場内部が劇場空間として選ばれていた。(注1)
 舞台空間の中央には、工場の作業台とおぼしき細長い台が観客のすぐ近くまで続き、その上には周囲をめぐるように一定の間隔で多数の電球が吊られている。その作業台の奥にはミシン台が置かれ、75分ほどの上演時間のあいだ、安藤はひたすら巨大なパラシュートと格闘することになる。まずはミシンでパラシュートを縫い、さらに舞台前方の作業台にパラシュートを広げ、電球にスイッチを入れたり、アイロンのコンセントを電球の差し込み口にいちいちつなぎながら、パラシュートにアイロンをかけてゆくのだ。提示される行為は基本的にはそれだけである。しかし、エレクトリックコントラバス独奏による伴奏の音(猿山修)が、時おり作業場内に置かれたラジオから流れてくる英語の音声が、彼女をこの孤独な労働へと駆り立てる。安藤がぶつぶつ呟く倉石の詩的テクストでさえ、彼女の内面の声というよりは、安藤の身体を動かす駆動装置のようにしか響かない。

  ミセス・パラシュート?
  わたしじゃない
 誰?
  わたしじゃない。わたしについてくる影のことで、

 誰か 一九四五年の戦場と
  誰でもない。平らかな影が戦場に消えた

 影は消えない 誰が
  誰だか知っている。 誰でもない人などいない
  それは誰かだ 名前のない人間などいない

  どこにでもいるよ
  どこにでも消えた。(注2)

 こうしたテクストの言葉と発語する安藤の身体のあいだには、何となくの齟齬感覚が常に横たわり、そのため彼女にはいわゆる登場人物のアイデンティティが与えられることが最後までない。パーフォマティヴに主体性が構築されるというよりは、「今、ここ」に存在しながら、テクスト引用装置と運動(ムーヴメント)装置といった風情なのだ。
 このように、パラシュートというオブジェそのものが想起する戦争という事態とそこに強制的に荷担させられる「女性」、あるいは閉鎖空間でひたすらミシン仕事やアイロンがけの家庭労働に奉仕させられる「女性」というフェミニスト的主題性、さらに、アフガニスタンへのパラシュートによる物資投下やローリング・ストーンズの名曲「パラシュート・ウーマン」にいたるまで、さまざまなテーマやイメージの連鎖を観客の脳裏へともたらしながら、圧倒的な孤独と受動性のただなかに置かれた安藤は、錯乱的な動きと身体感覚を舞台空間に刻み込んでゆく。そこにはアングラ的な意味でのパトスの表出はまったく見られず、パトスによって主体性を獲得するなどというノスタルジアのかけらもない。安藤の身体はただひたすら暴力的になって汗にまみれてゆくだけなのである。このアウラを放つというより汗にまみれるだけの身体を「テロリストの身体」と呼びたい誘惑をわたしは絶ちがたく感じているわけだが、そのようなレッテル貼りよりも、ここにこそ冒頭のバルーチャの問いかけに応答するための「芸術的過酷さ」という上演の倫理がそのものとして示されていることをわたしたちは確認すべきだろう。実際わたしは、「昔ながらの連帯感」や「劇場を覆う偽の感傷」などが入り込む余地など一切ないこの過´酷´な´上´演´について、「文明社会の残酷性に対して、テロリズムの暴力」が「芸´術´的´過´酷´さ´と´と´も´に´想像力豊かに対峙」している現場に立ちあったとしかいいようがないと思ったのである。

注1)
工場は佐啓産業株式会社本町工場という名前で、ここでは実際戦時中、パラシュートが製作されていたという。
注2)
引用は上演台本によるが、「パラシュート・ウーマン」のテクストは、以下で読むことができる。
倉石信乃「パラシュート・ウーマン」、『ミニヨン ビス』05号、2003年、ミニヨンクラブ、106ー120頁