ARICA+山崎広太 『Ne ANTA』公演評

児玉初穂(「ダンスワーク」2015年冬号)

 演劇集団ARICAと舞踏の山崎広太が、ベケット原作『Ne ANTA』を再演した。初演は2013年森下スタジオ。演出の藤田康城は、ベケットのテレビ用脚本(66年BBC)を舞台化するにあたり、大きな改変を施している。一つは、声のみの出演である女性を実際、舞台に登場させたこと。もう一つは、主人公の男が行なう動作(ベッドから窓、扉、戸棚を経て、ベッドに戻る)を、6回繰り返させ(ベッド→窓→冷蔵庫→扉→ベッドに変更)、結果として、クローズアップされた俳優の表情の代わりに、動きで主人公の意識の推移を表したことである。さらに、テレビカメラを俳優に向かって10㎝づつ、9回前進させよ、というベケットの指示に対し、藤田は奥の壁を手前に動かす、逆転の手法を採っている。
 山崎演じる中年男は、頭の中で聞こえる様々な声に苛まれる人。ルーティンの動作は、部屋に誰もいないか、誰かが入ってこないか確かめるためである。男は声の主を一人一人「精神的に」絞め殺してきた。今聞こえる女の声(安藤朋子)は、愛について、薄紫の服を着た女の自死について、男を責め立てる。息を吸いながら途切れとぎれに、怨霊のように。後半、安藤が可視化されることにより、孤絶したベケット的空間が、死霊と戯れる祝祭的空間へと変換された。
冒頭、ベッドに座っている山崎。微塵も動かないが、体の内側では、定型から絶えず逃れていることが分かる。意識の集中もなく、無意識でもなく、空間を吸い込んだブラックホールのような体である。さらには、不具の体、麻痺の体、老いの体が出現し、山崎の舞踏に対する現時点での回答を見た気がした。初演時に比べると、動きに洗練が見られるのも、山崎の方向性を示すものだろう。日舞の体を取り入れた「踊らない踊り」、ルーティンの歩行、顔の踊りに、サラリとした涼やかさがある。扉への踊り狂いも、かつては低重心の粘り腰、フランシス・ベーコンを思わせるねじり込みや歪みがあったが、今回はタップのようなカジュアルな上下動を伴って、アメリカン・ポップスへの傾倒を思い出させた。
ニューヨーク在住のため、本人主宰のwwfes 以外で、山崎の踊りに接する機会は少ない。ベケットの言葉が触媒となって、山崎の現在を見ることができた、貴重な公演だった。